大阪市社会福祉研究 第41号 ウェル大阪刊行

2023.12.05(火)

ひふみ

Writer:hifumi

障がい者支援施設長期入所者の地域移行の現実と課題

 

藤井恒輝

サマリー

「保護から主体者へ」 現在我が国では昭和から始まった 「社会福祉基礎構造改革」 が平成に入り様々な制度改革を経て 「障がい者権利条約」 を批准し、障がい者を取り巻く環境は目まぐるしい変化が続いている。

 

しかし、 施設での実態は旧態然としていて、相変わらず利用者の尊厳は危うい状態にある。 とりわけ、 一部の障害者高齢者施設 での現状は 「人権侵害・虐待」 が年々増加しており、 職員や元職員が利用者への暴行、殺人から逮捕者まで出る状況が続いている。
しかも再発防止の原因を加害職員のパーソナルを第一と捉えているよ うに見られ、客観的な再発防止がなされていない ように感じる。
そのような社会情勢の中、 私が今回の実践を通じて感じた事はAさんの 「あきらめへんかったら、 夢はかなうんや!」との言葉であった。 この言葉が今回の実践の根底にあり、 成功の要因であるといえよう。
現状の一部の施設では冒頭に述べたように様々な状況であるが、この実践を通じて少しでも昨今現状の打開に繋がればと思 い紹介させて頂きたいと思う次第である。

 

私の利用者支援の “骨子”となる 【 障害者総合 支援法 基本理念】 の一部を本題に入る前に紹介させて頂きたい。
①〜大切な個人として尊重〜
②〜安心して住みなれた地域で暮らす事を実現〜
③〜必要な日常生活又は社会生活を営むための支援を受けられる〜
④社会参加の機会が確保〜
⑤何処で誰と生活するかについての選択の機会が確保、〜他の人々と安心して住みなれた地域で暮らす事を妨げられない〜
⑥〜日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、 制度、慣行、 観念その他一切のものの除去に助けとなる〜

 

私の利用者支援の指針である故佐々木正美先生 (児童精神科医・川崎医療福祉大学特任教授)が生前、 ASD当事者さんの言葉を通して 「熱心な専門性の無い支援者は関わらないで欲しい=間違った正義」 と専門性を高める事の大切さを学んで以降は、支援への理念の柱となった。
また、びわこ学園の職員研修では 「(施設内で)職員は神か?!」 と言う言葉を学び、 残念な気持 ち、怒りの感情は未だ忘れる事は無い。
今回、紹介するAさんが利用していた障がい者 自立支援施設 (以下、 施設と省略)の入所者の 現状は施設開設から約20年と入所と長期利用者 が多く、 当事者とその家族は高齢化し施設は 「終の住処」 の状態が続いている。 そして殆どの退所 理由が施設内での問題行動の複雑化からの処遇困 難による措置変更や、 重度の病気や怪我による入院等でその生涯を終えている。

 

施設理念は「利用者の自立した生活」との基、Aさんの個別支援計画書には複数年「地域移行の「実現」と掲げているだけで、利用者のニーズに沿った地域移行とは程遠い状態が続いていた。

このケースを通じてAさんの「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」との言葉の意味と、施設内で起こっていた状況を併せてご紹介したい。

キーワード
(間違った正義、破たんした生活、怒り、自己選択・自己決定、個別支援計画の本音と建て前、引継ぎの重要性、専門性(障がい特性)の理解、・佐々木正美先生の進言)

 

目次

1はじめに
2「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」
3生活歴、現状
4「間違った正義」
5最初の一歩
6大前進
7中断、選択肢
8変化
9悲しい課題
10開始
11自己選択自己決定
12「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」
13最後に

 

1はじめに

キーワードに「専門性(障がい特性)の理解」を掲げたように最初にAさんをはじめ今回登場する利用者のASDの特性が、支援の重要なポイントとなった。

はじめにASDの特性を再確認として概ね以下を示したい。

「突然の変更や、環境の変化が苦手、見通しを持てないと不安になる、集団での生活が苦手、人間関係に配慮が必要、意思表示が苦手、感覚過敏·鈍麻等」

詳細は故・佐々木正美先生の関係する「よこはま発達クリニックHPよりASDとは?」の一部を以下に示したい。

※参考文献「ASDとは?」
よこはま発達クリニックHPより(一部抜粋)

英国の児童精神科医ローナ・ウイングは自閉症スペクトラムを社会性、社会的コミュニケーション、社会的イマジネーションの3つ組の障害と定義しました。

 

1)社会性の障害
同年代の他者と相互的な交流を行うことが困難なことが基本的な特性である。
ASDの人たちの社会性は発達しないわけではなく、ゆっくりと発達し、変化していく。

 

2)社会的コミュニケーションの障害
表出全般に偏りが生じうる。
ASDの人のコミュニケーション障害は社会的場面でのコミュニケーションの方法が独特であるのが特徴である。
“理解”については、言葉を字義通りに受け取ってしまう、言葉の裏を読むことが苦手、相手の発した言葉の中で自分の気になった部分のみに着目してしまうといった偏りがある。

 

3)社会的イマジネーションの障害
次に起こることを想像することが難しく、自分なりに見通しを持つことが出来ないため、同じパターンを繰り返し行うことで安心しやすい。
また、自分の好みの物を集めることや揃えることを好んだり、せっかく集めても、それを本来の目的ではなく、ただ蒐集することだけで満足することもある。
目に見えない物(イメージ)の共有は苦手なことが多いが、そこに具体的な実物、写真、絵、文字などの情報が見える形であると、イメージを他者と共有しやすくなるのが特徴である。

 

4)感覚の特異性
ASDは上記の3つ組の障害で定義される。
ASDにおいては、“感覚”刺激への反応に偏りがあることが多く、聴覚、視覚、味覚、臭覚、触覚、痛覚、体内感覚などすべての感覚領域で鈍感さや敏感さが生じうる。

 

聴覚:音源の種類によっても反応が異なることが多い。
視覚:特定の視覚刺激を恐れるなど、視覚的な刺激に対する独特の感じ方がある。
味覚:味、温度、固い食べ物、舌触りなどに過敏であったり、逆に鈍感だったりする。
臭覚:特定の臭いを極端に嫌がったり、逆に臭いを頻繁に嗅ごうとすることもある。
触覚:人から触られることを嫌がったり、軽く触られただけでも叩かれたように感じ、怒り出す人もいる。特定の感覚刺激を好む場合もあり、自分で頭を叩くなどの自己刺激行動を起こすこともある。
温冷感覚:暑さ寒さに鈍感で低温火傷になったり、少し暑いとクーラーをつけるこことに固執することがある。

 

これらの感覚の特異性については、ストレスが高まったときにより強く出ることもある。
わがままと受け取られがちだが、感覚情報処理の偏りとみなして対処する必要がある。

 

2「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」

「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」14年間入所していたAさんの退所が決まった日に同室の地域移行を希望しているASD入所者に伝えた言葉である。
その方も自身の病魔と闘いながらも長年、地域移行を希望している為であった。
Aさんがグループホームへの移行を希望し続けて約7年目の事である。
Aさんの行動特徴は「いつも独語を呟いており、“私のお姉さんは二人おるんや、(カタログを職員や実習生に見せながら)こんな車に乗って、ここのマンションにお母さんと皆で一緒に住むんや。”と言いながら、車とマンションのカタログを見るのが大好きで、参考文献で示した典型的なASDの症状を持っていた。

 

施設内では異性とのやり取りで一方的に話し、関わろうとする事が多々見られ、「Aさんの入所理由は性的な触法行為があった為」と職員間で引継がれていた。
また、ASDの特性を知らない一部職員から、異性との関わる際に「話しをしないでください!(異性を)見ないでください!」と注意され続ける事が行動を強化され、Aさんの行動と職員の注意は長年繰り返されていた。

単独世帯であるAさんは「私のお姉さんになってください。お母さんになってください」と書いた手紙を実習生に渡した際も、ASDの特性を知らない一部職員から同様の注意を受け続けていた。

そして手の指が1本欠損しており私が理由を聞くと「昔、グループホームから通ってた仕事場で切ったんや」と話していた。

私はH某年4月~某年4月迄、人事異動で施設へ赴任になり、某年4月よりAさんの担当となった。以前の担当者から「私は(Aさんの地域移行)出来ませんでしたが、宜しくお願いします。後見人さんも藤井さんとなら相性も大丈夫やと思いますし、地域移行の実現が楽しみです。」との引き継ぎがあった。

 

私は最初にAさんが7年前から地域移行を希望し続けていたが、なぜ実現出来なかったのか?理由を客観的に調べる事とした。
経過を調べれば調べる程、これまでの支援方法に違和感を感じ、そして怒りへ変わる事となる。そして、Aさんの生活歴や支援の経過を調べれば調べる程、適切な支援を受けられなかった事が判明。それが「絶対、Aさんの希望を実現してみせる」と私の決意となった。

次にAさんの入所していた施設の概要を以下に紹介する。
施設はH某年開設「障がい者支援施設」(※以下“施設”と略)生活介護事業、約50名、施設入所支援事業、約50名、短期入所事業、日中一時支援事業を行っている。
主に成人の知的障害者の方々が入所しており日中は施設内生活介護と敷地外生活介護施設に分かれて活動を提供している。

AさんはH某年よりにて敷地外生活介護施設の活動に参加。
施設の運営方針は「QOLの向上、創作活動、地域への参画をキーワードに挙げ、施設を利用される方がそれぞれに認められ、それぞれがその人らしく生きることを基本とし、個々のニーズに応じた支援やサポートを行います。」
「ボランティアなど地域住民が気軽に立ち寄れる施設を目指し、地域の資源としての役割を担い、風通しのよい施設を目指します。」

 

また施設名称には理念である「自立した生活」=利用者の方、一人ひとりが自立し快適に社会生活するという意味が込められている。
施設の記録では「Aさんは単身世帯で、市内某法人の児童施設からグループホームに入所、グループホーム入所10年目に異性へのつきまとい(性犯罪として処分)で逮捕され施設に入所となった」との記載があった。
指の欠損についてAさんは「仕事の時に事故で切ってしもうたんや」と話すが裏付けとなる記録は施設では見当たら無かった。
H某年からお世話になっているAさんの後見人は普段は福祉関連の業務に携わっており、当初から本人と同様に「地域でのグループホームへの移行」を希望し続けていた。

 

3生活歴、現状

H某年度からAさんの担当者として決まった際、前年度の担当職員から地域移行に関する引き継ぎを受けた。

 

その中に
「①地域移行に向けて、社会生活及び生活スキルの獲得を目指す
②ガイドヘルパーを利用することでストレス緩和や地域移行に対するモチベーションの向上を狙う」
との目的でH某年1月より同法人地域生活支援センターのガイドヘルパーを実費負担にて毎月2回(2時間)の利用を継続していた。
重要事項説明書の利用料金の記載では「日祝日は1時間毎100円追加、17時移行は1時間2500円等」と追加料金が設定されている事を直ぐに某役職者に進言。すると「高いとは思いましたが、他に実費で契約してくれる事業所がありませんでした」との回答であった。

 

4月、今年度個別支援計画書の契約の為、成年後見人(※以下、後見人と略)とAさんを含めて初めての面談を実施。これまでの地域移行に関する経緯や今年度の意思確認をする事となる。
後見人より「以前の担当さんは積極的に地域移行に動いてくれましたが当時の施設長が”触法歴のある利用者は地域移行出来ません。外に出せません”との指示により後に地域移行にストップがかかりました。長年その状態が続きましたが前年度担当さんから地域移行に向けてヘルパーを利用した外出をしようと提案があり、地域移行へやっと動き始めました。
しかし、単独外出については以前と変わらず「触法歴があるから出来ません」との説明でした。「(Aさんが)65歳から施設変更(介護保険へ移行)でグループホームも考えましたが、まだお若いので出来る事なら早めに地域移行させていただきたい」との話があった。

Aさんも「私は市内のグループホームに行きたいんや。早く行きたいねん」と地域移行を希望していた。

私は後見人の「当時の施設長が“触法歴のある利用者は地域移行出来ません。外に出せません”との指示」は本当なのかと驚き、同時に怒りの感情が湧き出る事となった。
事実の詳細を明確にしなければ、施設職員間のコンセンサスが取るのが難しいと考え、これまでAさんを担当した職員に長期間“地域移行”個別支援計画書にも記載し、契約していたにも関わらず実現しなかったのか理由を調べる事とした。
また、初めての面談で後見人がこのような発言をしたので施設への不信感があれば信頼関係が築きにくいと感じ、次回面談では某役職者に同席し謝罪する事を依頼した。
これまでの支援の経過を調べた後、後見人の発言が事実であれば「今年度は施設としてグループ
ホームへの地域移行を取り組みます」と改めて説明し、同意を得る事とした。

次にこれまでの支援の経過の記録を調べる為に、後見人がついてからの歴代のAさんを担当した職員から聞き取りを行う事とした。

 

初年度担当職員は人事異動により施設内に不在。その為、当時の記録を調べると「年度内に法人内のグループホームを見学。その際に“現在は空きが無いので空が出ましたら連絡します”との返答。」しかしその後の、返答に関する記述が見あたらなかった。
次の担当職員からは「地域移行の為、某市地域移行相談(担当:某氏)に依頼しましたが、当時の某役職者の意向で法人内の某相談室へと変更されました。
それ以降何の連絡も無く、某相談室も閉鎖されH某4月に某役職者も人事移動で別の施設へ赴任となり何もありませんでした。
当時の某役職者の意向でしたので現場として何も出来ませんでした。“触法歴のある利用者は地域移行出来ません。外に出せません”との指示は当時の某役職者では考えられません」との事であった。

 

4「間違った正義」

次の担当職員からは「当時の某役職者や一部職員から反対されました。(当時の会議録には“誰かが(性)被害にあうような事になった場合、その責任を負う事が出来るという問題ではない。”と記載有)
当時の某役職者から“Aさんが性犯罪を犯したら誰が責任を取るねん”(当時の会議録に記載有)と会議で怒鳴られました。

 

また、某サービス管理者からは“触法行為に対する支援方法が現段階において確立されていない為、地域生活移行は困難な状態である(当時の会議録に記載有)”との事から、具体的に動く事が出来ませんでした。」との返答であった。

次の担当職員からは「後見人さんから“地域移行が出来ないなら他の施設への変更を検討します”と言われ、“スモールステップから段階的に取り組んで参ります”と返答しました。H某年1月には後見人さんより“グループホームの移行を目指すので単独で外出出来るようになって欲しい”と要望があったので“単独外出を着地点としてスモールステップを設定して取り組み可能かどうかを検討する旨をお伝えしました。”」との返答であった。
その為、前年度末からガイドヘルパー利用開始となり翌年度に引き継がれる事が分った。

 

私はこれまでの経過を調べれば調べる程、違和感を感じ、そして怒りへ変わった。
また、適切な支援を受けられなかった境遇に何度もやるせなさを感じ、「絶対、Aさんの希望を実現してみせる」との決意が更に深まる事となった。

 

5最初の一歩

5月、後見人との面談で私からこれまでの支援の経過を報告し、某役職者から「今年度は施設としてグループホームへの地域移行を取り組みます」とこれまでの支援を謝罪。
私から「地域移行を具体的に取り組むには①施設では生活歴や家族構成について示す資料が無い事②触法歴があると歴代引き継がれてきたが触法行為の具体的な内容や時期、治療の有無を示す資料が無い事③移行先(グループホーム、作業所、計画相談所)に本人特性を客観的・科学的な根拠に基づいた支援をお願いしたいと考えているが、それを示す資料(発達検査等の各種検査資料)が無い事等、役所の担当CWへ開示請求をお願いしたい」と依頼。
後見人は快諾し、本人後見人施設とで協力して取り組む事が決まった。併せて、これまでの経緯から近隣の地域移行相談は利用しない事を双方で確認した。

 

6月に後見人が役所CWを訪問し、地域移行への協力、生活歴や触法行為、各種検査資料の開示請求&閲覧を行う。
某日、後見人より「CWと一緒に過去の触法行為については逮捕歴、刑事罰等の記録を閲覧、療育手帳の更新記録も調べましたが全く見当たりませんでした。但し、一部記録に“警察に注意を受けた”と記述がありました。」と報告が入る。
その為、私も含めて生活歴、検査資料の閲覧や今後の協力も兼ねて7月中にAさん、私、後見人と役所へ訪問しCWと面会する事となる。
また後見人より「これまでの施設の対応は“グループホームへ移行がしたいならば、こちら(施設)はしませんが、後見人さんがしたいならば、責任をもって進めてくださいと言われていました。しかし今回はお互いが協力しながら取り組む事が出来る”」と笑顔で話していた。

 

役所CW訪問迄の準備として、私と後見人が各自役所管轄地域内の事業所(グループホーム、計画相談事業所、就労B型作業所)を探す事となる。

 

7月、役所を訪問。Aさん、私、後見人、CWで話し合いの場が持たれる。
最初にAさんの希望(就労B型施設を利用したグループホームへの意向)を全員で確認し、改めてCWの同意を得る事とした。
各自の役割分担(CW:各事業所への調整&問い合わせ、後見人:CWとの連携&事業所の情報提供、私本人の意思を代弁&事業所の情報提供)、移行スケジュールを確認。
地域移行先(各事業所)は私が以前に関わった事業所を、役割分担通りに私からCWに情報提供し事業所との連絡調整を依頼した。

 

次に“警察に注意を受けた”との記述について資料を確認。約10年間入居していたグループホーム運営法人の職員が、H某年にAさんを最寄の警察に連れて行き「通勤の際、異性へトイレ迄つきまいといをしたら捕まえますよ!」と警察官に注意して欲しい。と依頼した事が分かる。Aさんに触法歴無い事が明白になったと同時に「間違った正義」が発覚する事となった。
当時の支援職員と法人の専門性、人権意識の無さに、衝撃と悔しさの感情が溢れ出た。
また、生活歴も施設に残っていた資料との違いが明確になる。
資料によると某県内にて出生後、直ぐに母が蒸発。父は親類を頼り上返した。(姉2名の記述は無し)
父はパチンコ屋に勤めながら本人を育てるが、Aさんが就学前に病死。その為、市内の精神薄弱児施設へ18歳まで入所。
H某年市内支援学校高等部卒業と同時に同法人が新規に開設したグループホームへ初期メンバーとして入居。日中は自力通勤にて早朝より某市内の精肉加工所へ約10年間勤務。
グループホームでは他の利用者の世話をしながら生活をしていたようであった。
10年が過ぎた頃、通勤途上、公衆トイレ迄異性へつきまといが始まる。
その行動を目撃した人から、指摘され当時の支援職員が辞めさせようと警察へ注意を依頼したようである。

 

「罰に頼ってはその行動は変わらない」

 

その後も行動が続いた為、グループホームを退所、施設へ入所したが分かる。
入所理由となった異性へつきまといは一度だけの記載であった。精神薄弱児施設入所中や療育手帳更新記録でも記述が無い為、長期間、定期的に繰り返された行為とは考えにくいと推測された。入所理由を知り、行動の改善には罰によって制する事は改善しない事、故佐々木正美先生の「熱心な専門性の無い支援者は関わらないで欲しい」とASDへの専門性(基礎知識)の無い、人権意識の無い支援者“熱心な無理解”が如何に悲惨な結果となり、その人生を奪う事になる事を改めて感じる事となった。

 

指の欠損については某市内の精肉加工所で勤務中のある日、たまたま他部署で欠員が出た際、本人が充てがわれた時に事故にあった事が判明。
ASDの特性(Aさんは嫌と言えない)を職場が知っていれば、もしくは当時の支援職員が特性を職場へ伝えていればこの事故は防げた。残念でならない。

役所資料から触法歴が無かった事が明白になった。触法歴があるからと反対していた当時の某役職者並びに一部の職員にAさんの地域移行を堂々と行う事が出来る事となった。
某役職者「施設内の地域移行のコンセンサスを得る為、経過報告をして頂きたい」とあり、7月の施設内の全体会議で私から役所資料保管について報告した。
しかし、一部職員が「Aさん異性を見る目つきが怖い」等の主観的な意見が上がり、ASDの特性“表情の作り方が分からない、物の見え方が健常者とは違う”を知らない職員がいる事を再認識した。私は怒り、残念な気持ちから「Aさんのこの長期間の思いを絶対に成功させてみる」と決意を新たにする事となる。

 

8月、後見人へCWからの結果連絡が入る。残念な事に連絡・調整を依頼した事業所は空きが無いとの事。CWから市内事業所一覧を受け取り、そちらで探して欲しい。と要望があった。との事である。

 

8月、私と後見人で新たな事業所を見つける為、Aさんを含めて打ち合わせをする事となる。
現状の役所管内だけでは事業所が限られるので、Aさんの希望する他の区内の特にASDに理解のある地域に広げる事とした。
施設一覧表に基づき後見人、私がそれぞれで事業所を探す事を本人に提案、了承も得る事となる。

 

6大前進

8月、私の知り合いからの情報で市内6か所の事業所(グループホーム)が見つかる。その事を後見人へ報告、受け入れ可能か確認する事となる。Aさんに報告すると「前、居てたグループホームは嫌です。他の利用者の世話もしたくありません」と話しがあった。
「分かりました。必ず違うグループホームにしますから安心してください」と伝えると「分かりました」と安心した表情になる。

 

8月、更に私の知り合いからの情報で新たに1か所事業所(グループホーム)が見つかり、合計7か所の事業所から選ぶ事となる。

 

9月、新たに、私の知り合いを通じて市内の地域活動生活支援センターHから市内事業所の情報提供並びに、懇談を含めた協力を得る事が出来た。

 

その中よりT事業所より「施設に訪問し説明を聞いていただきたい。」と連絡が入った。
9月、T事業所が来園。Aさん、後見人、私、T事業所(代表、世話人、管理者の計3名)で面談となる。
T事業所はこれまで市内で移動支援事業を実施しており、今年11月から新たに同市内にグループホームを開設(定員4名)予定の為、新規利用者を募集中であった。
Aさんも「市内のグループホームに早く行きたい」と希望している事、T事業所が移動支援事業をしている事から、私より「入居前にグループホーム体験は行いますが、残念な事例で本人よりも職員側が緊張し、利用者対応に慣れるのに時間がかかり体験中に利用者の特性や問題行動を理解出来ず入居を断られる事があります。提案ですが“お見合い”と称してグループホーム体験入居迄に移動支援を利用し、双方が入居前に関わる時間を増やせばどうですか?」と提案した。
(内実は、現在利用している法人内の移動支援事業所は事業所側の都合(会議開催の為やヘルパーが調整出来ない等)で利用をキャンセルされある事、利用料金が高い事から当初の目的が見いだせなくなっていた事もある)

 

その提案は出席者全員から了承され、早速10月から毎月2回(1回目は本人の希望場所、2回目はグループホーム見学)実施となった。その後11月グループホーム&就労B型事業所体験を経て、12月正式契約、入居へと手続きをする事が決まった。

併せて、計画相談事業所・就労B型事業所もT事業所が用意する事となり、事態は一気に進むかと思われた。

しかし9月、T事業所代表から私に「11月開所を予定していた物件が消防の申請が通らず会議を重ねた結果、別の物件を探す事になりました。その為11月の体験、12月入居は難しくなりました。但し、10月の移動支援は予定通りさせていただきたいです。」と連絡が入った。
早期にAさんと後見人を含めて懇談してから、T事業所代表に近日中に来所する事となった。

10月、関係者全員が施設に集いT事業所代表より詳細な経過報告を受ける。同代表より「消防の認可が降りず、当初予定していた物件はキャンセルとなりました。現在他物件をあたっており最短でもホーム開設は来年1月以降となりました。10月末迄に新しい物件を見つけます。計画相談事業所と就労B型事業所は受け入れを依頼済みで双方からOKを頂いております。10月の移動支援はさせていただきます」との説明であった。
Aさんから「分かりました。10月の移動支援は行きたいです。」との為、移動支援は予定通り実施となった。行き先は本人の希望する場所となり、12月入居の計画は延期されたように思われた。

 

T事業所が席を外してから私より「T事業所以外に市内の地域活動センターHから協力をもらえています。T事業所さんの物件が10/31迄に見つからなければ、Hさんにも相談しませんか?」と本人、後見人に伝えると「分かりました。宜しく「お願いします。」と了承を得る事が出来る。
その為10月上旬に地域活動センターHへ架電し協力要請&状況を報告し、10月末迄に物件が見つからない場合には地域活動センターHへ訪問する事となった。

 

7中断、選択肢

10月、Aさんの希望通りT事業所の1回目の移動支援を実施。帰所後、同行ヘルパーよりグループホーム物件の途中経過報告があり「市内で別の物件が見つかりました。諸手続きの都合によりホーム開設時期は来年3月~4月頃になる予定です」であった。(後見人へは私より後日報告)
10月、後見人より「地域活動センターHに相談してグループホームの入居がT事業所より早まりそうで、当初予定していた地域内であれば地域活動センターHを活用してください。しかし、地域活動センターHを通して移行が決まると、11月以降もT事業所の移動支援を利用する目的が見いだせなくなりますが、月1回であれば構いません。全てそちらと本人の希望にお任せします」と連絡が入った。

 

同日、私からAさんへ11月移動支援について確認すると「地域活動センターHを利用するのも良いけど、T事業所の方が(話が)進んでるからええんとちゃう。11月もT事業所の移動支援に行きたいです」との返答であった。

 

この時のAさんの言葉が移行先を決める判断基準となる事を後に気づかされる事となる。
11月、私がT事業所へ連絡。物件の進行状況を確認すると代表より「現状ではホーム開設が来年2/1に可能です。1月には見学も可能です。その為ホーム&作業所の体験は2月が望ましいと考えています。11月の移動支援は1回で了承しました。」との返答であった。

 

移行時期に関して当初の予定より延びるアクシデントになったが、私はここは発想を「移行先の選択の余地が増えた」と考えを変える事とした。残念ながら施設内では依然、一部職員のAさんの障がい特性の理解や地域移行に反対する状態は続いていたが、私は「なんとしても実現して見せる!」このアクシデントから更に深く決意が固まる事となる。

11月、現状を打開すべく、某役職者の指示により私とサービス管理責任者が地域活動支援センターHへ訪問。担当者M氏より「グループホームに2件空があります。早速、明日に訪問するので詳細情報が分かり次第連絡させていただきます」と早速協力を得られ、更に選択肢が増える事となった。

 

後日、私からAさんへ地域活動支援センターHへ訪問した際のやりとりを報告。私より「地域活動支援センターHが見つけてくれたグループホームに空きがあり、こちらの条件に合えば、T事業所さんより2週間程早く入居出来そうです。一度考えてみませんか?」と伝えると「分かりました。考えてみます」との返答であった。

 

同日夕方、地域活動支援センターH担当者M氏より私に連絡が入り「見学にいってきました。結論から言うとサテライト型の為、そこはパスして別のグループホームの情報を就労B型作業所J担当者0氏が持っているので連絡してください。」との事から協力事業所がさらに増える事となる。
その後、私からAさんと後見人へ上記を報告し、了承を得る事が出来た。

 

11月、私から就労B型作業所担当者0氏に連絡し、グループホームの情報提供並びに調整、就労B型作業所の体験を依頼、了承を得る事が出来る。

 

11月、就労B型作業所担当者O氏より連絡があり「市内5か所の事業所に当たり2か所(事業所K、事業所A)から見学&体験の受け入れの了承を頂きました。それに合わせて就労B型作業所」の体験実習を行いませんか?」との事から了承する事となる。

 

11月、事業所の紹介で私と本人で市内グループホーム事業所K(利用定員2名)(対応:管理者)、事業所A(利用定員3名)(対応:理事長)を見学。事業所Aは家族経営であり、同法人内の複数の施設退所者が利用している事や、将来自立通所が可能になった場合に就労B型作業所Jへ公共交通機関を利用して通いやすい立地である事から体験は事業所Aでする予定とした。

 

就労B型作業所J(定員19名)の見学の際、Aさんから全員の利用者さんに「(自身のフルネームを伝えてから)今度体験実習に来ます。宜しく「お願いします。」と挨拶に回る姿がみられた。
私は昔、Aさんに関わった支援員が“こういう時はこうするんだよ”と教えたんだなぁ。と感じ、また嬉しくなった瞬間であった。

 

8変化

いよいよ作業所&グループホームの体験利用に向けて具体的な見通しがつき、念願の地域移行日が近づいて来た。

12月、Aさんより私に「グループホームは事業所Tに行きたいと考えています。理由は職員さんが全員同性で移動支援に何度も行ってるから慣れてるからや」と話がある。
私から「分かりました。あなたの行きたいとこにしましょう。ですから体験は事業所TとAの両方に行きませんか?今月、後見人さんと地域活動支援センターH担当者Mさんが施設に面会に来る予定です。その時に相談して考えませんか?」と提案すると「分かりました」と返事であった。

 

その時、私は“お見合い”と称して移動支援を利用した目的が成功したんかなぁ。と考えたが、Aさんの「理由は職員さんが全員同性で」との言葉の意味に気づく事は出来なかった。

 

12月、後見人と地域活動支援センターH担当M氏が来園し、これまでの経過を報告。今後の対応について協議した。移行先は“Aさんの意思を重視する事”を再度、全員で確認する事となった。
具体的な取り組みは以下となった。1事業所A+就労B型作業所」の体験を2回(3日間、5日間)実施。
2移行先は事業所A+就労B型作業所」、事業所T+就労B型作業所Wの体験終了後にAさんの意思を尊重して決定。

 

打ち合わせ終了後、Aさんより「グループホームは事業所Tに行きたいと考えています。理由は職員さんが全員同性で移動支援に何度も行ってるから慣れてるからや」と話してもらう。
後見人より「分かりました。あなたの行きたいとこにしましょう。ですから体験は事業所TとAの両方に行きませんか?」と返答。
Aさんより「分かりました。両方行きます」との承諾を得る。

 

12月、事業所T代表者から入電があり「就労B型作業所Wのお早めの利用を後見人さんと検討してもらえませんか?送迎をするので施設入所中から利用出来ます」との事。私から後見人へ報告し、Aさんの見学日については後日相談する事となる。

 

12月、後見人より入電あり「就労B型作業所Wへの見学ですがAさんの混乱を避ける為、事業所A+就労B型作業所」の体験が終了後にしてはどうですか?」との提案であった。
同日、Aさんの申請していた受給者証を受領した為、私からAさんへ事業所A+就労B型作業所」の1回目の体験日(3日間)を伝えると了承を得た。

 

この頃から当施設の職員や他の利用者さんから「Aさんの様子が明るくなった!」と、評価されるようになる。また、地域移行に理解してもらえなかった一部職員もAさんへの接し方が良い方向へ変わり始めた事を実感した。

 

9悲しい課題

この時期、新たな課題が出た。
Aさんから「グループホームの体験に行くのを他の利用者さんに何て言えばいいですか?」と相談された。
詳しく理由を聞くと、一部の利用者が「A!何処に行くねん!グループホームやったら許さんぞ!」と言いAさんの地域移行に反対の態度や言動を見せるようになったとの事。
しかもその利用者は衝動性が高く、過去に粗暴行為を起こした利用者であった。
私が反対している利用者に理由を聞くと「Aは異性の人につきまとって逮捕されたから、ここに来てん!そやから、グループホームで生活出来るわけが無いねん!」との理由であった。
間違った情報が長年施設内で共有されたASDらしい理由であった。
早速、その利用者に情報の修正をしようと試みたが、興奮が続いて暫く収まらないと感じた。
施設内の職員には早々に情報の修正はしていたが、利用者にはしておらず、想定していない出来事の為、この時点では有効な打開策は見当たらなかった。

 

唯一の救いは反対している利用者と私の関係性が出来ていたので、私が一括して対応する事を施設内で統一し了承を得た。
Aさんには「私が反対している利用者の対応をしますので、何か聞かれたら、担当さん(私)に聞いてください。と伝えてください。」と提案。すると「お願いします」と了承される。
併せて施設内職員にも会議にて“反対している利用者にAさんの事を聞かれたら、私に聞くように話してください”と統一した対応の協力を提案、承諾された。そのAさんとその利用者が衝動性からのトラブルにならないよう配慮を心がける為であった。
程なく1回目の体験を迎え、少しでもトラブルを避ける為、出発当日は反対している利用者が居ない時間帯を選んで施設を出発し、体験事業所に向かう事となる。

 

10開始

12月、事業所A+就労B型作業所」の1回目の体験を実施となり終了後、両事業所職員から体験中の様子を確認した。

 

事業所A代表者:初日に他利用者の居室扉を開ける間違えをしたが他は何もなかった。
Aさん:初日に部屋を間違えてあけてしまった。ご飯もおいしくクリスマスの食事にはケンタッキーが出て嬉しかった。また行きたいです。

 

就労B型作業所職員:異性利用者(精神疾患)との距離感で職員が間に入る援助が必要な場面がありました。作業は順調で体験中はスムーズに過ごしていた。
Aさん:仕事は私に合ってたわ。分かれへんときは他の利用者に教えてもらいました。ご飯もおいしかったです。また行きたいです。
※2回目の体験は来年1月実施となる。

 

事業所Aでは同性のみの部屋と施設内との環境も同じであったが、就労B型作業所Jでは異性との関わりが一方的な会話となり職員の配慮が必要な場面があった。
就労B型作業所職員からは「その異性利用者さんが精神疾患だった為、過度の反応がありましたがトラブルにはなっていません。Aさんの受け入れは可能です」との返答であった。

 

Aさんの地域移行に反対した利用者へは私から「あの人は市内に将来の大事な勉強に泊まりで行きます。」と伝えた。
また、施設内の職員の対応を統一した為、混乱が大きくなる事はなかったがその利用者は「Aは異性の人につきまとって逮捕されたから、ここに来てん!そやから、グループホームで生活出来るわけが無いねん」と変わる事はなかったが、危惧していたAさんトラブルに発展する事はなかった。

 

12月、私から後見人へ1回目の体験を報告。2回目の体験日程を伝え了承を得る。
この頃、Aさんの地域移行に反対した利用者に変化が出始めた。私との雑談を増やし、何度も反対している理由聞くと「(体験に)いつから行くのか?いつ帰ってくるか?がどうしても気になるねん」とやっと話してくれた。
私は「ASDらしい理由やなぁ。」と感じた為「Aさんは来月に5日間市内に将来の大事な勉強に泊まりで行きます。」と伝えると、反対する態度は軟化していくのが伝わってきた。

 

11自己選択自己決定

翌年1月私のみで事業所T+就労B型作業所W(利用定員20名)を見学、今後の受け入れ打ち合わせをする。
後見人からの要望もあり体験は事業所T+就労B型作業所」を1度だけ(2月、3日間)実施となった。
2回目の体験は出発当日までに反対している利用者に再度、私から「Aさんは5日間市内に将来の大事な勉強に泊まりで行きます。」と伝え、今回は堂々とその利用者の目の前で体験事業所に向かう事が出来る事となった。

 

1月、事業所A+就労B型作業所」の2回目の体験を実施、各事業所職員より体験中の様子を確認した。

 

事業所A代表者:独語で他利用者から苦情があったが、(他利用者に)仲良くしてくださいと伝えています。他はスムーズに過ごされました。

 

Aさん:Rさんに部屋の電気が明るいと言われました。また行きたいです。

 

就労B型作業所J:本人の独語と異性利用者との距離感の取り方で職員が間に入る事がありました。新しい作業にも取り組みましたが順調で、スムーズに取り組んでいました。
Aさん:楽しかったわ。ここの仕事続けたいです。

 

事業所Aでは前回と同じ利用者さんと関係が円滑にならかったようであった。
就労B型作業所」でも異性方との関わりで職員の配慮が必要な場面からトラブルになり、Aさんが阻害感を持ったようであった。
就労B型作業所職員からは「前回と(異性との)反応が同じでしたが大きなトラブルにはなってません。Aさんの受け入れは可能です」との回答であった。

 

1月、私よりAさんへ事業所T&就労B型作業所の見学日と、体験を1回(3日間)実施する事を伝え、了承を得た。

 

2回目の体験は出発当日までに反対している利用者に再度、私から「Aさんは3回目の泊まり込みの勉強に行きます。その為見学日を1月に私と行きます。2月に3日間、市内に将来の大事な勉強に泊まりで行きます。」と事前に伝えると、今回もトラブルに無く、事業所に向かう事が出来た。

 

1月、Aさんと私で事業所T&就労B型作業所の見学を実施。
就労B型作業所J代表より説明を受け作業にも取り組んでいた。見学の際、Aさんから全員の利用者さんに「(自身のフルネームを伝えてから)今度体験実習に来ます。宜しくお願いします。」と前回と同様に挨拶に回る姿が見られた。
帰所の際、Aさんより「利用者が少なくて静かでええわ。仕事も自分にあってたし、あとは人間関係やわ」と笑顔で話していた。

 

事業所Tは利用者が他に居ない為、自分で部屋を選び「利用者がおらんから静かでええわ。」とい話していた。

 

私は見学を終えてAさんが重視しているのは“人間関係”“静かな環境”と「ASDの特性らしい感性」と感じ、私が重視している考えとの違いを感じ始める事となった。
そして、私の考えを改める必要を感じ「移行先は“Aさんの意思を重視する事”=自己選択自己決定」の重要性を改めて再確認する事となった。

 

2月、事業所T&就労B型作業所」の体験を実施、各事業所職員より体験中の様子を確認した。

 

事業所T代表者:何も問題ありませんでした。身の回りの事も殆ど自分で出来ていました。こちらから来てほしいと思います。
Aさん:グループホームはTさんがええわ。静かやし(移動支援で)知ってる職員さんがおるからや。

 

就労B型作業所J代表者:独語と異性利用者&職員との距離感が分からず、職員が間に入って対応する事がありました。作業能力は高く積極的に取り組んでいます。うちでは問題無く受け入れが出来ます。
Aさん:異性利用者が二人だけで異性職員さんもよく話してくれました。こっちがいいです。

 

2か所のグループホームと作業所、3回の体験実習を経てAさんの決断は「こっち(事業所T、就労B型作業所J)がいいです」と決定した。決定を聞いて私は“お見合い”と称して移動支援を利用した目的と、静かな環境、人間関係を重視した事とAさんの判断基準を再確認する事となる。

 

結果を後見人へ報告し、「本人の意思を尊重する」方針から地域移行先は事業所T+就労B型作業所」に決定した。

 

2月、後見人が来所しAさんと今後について確認両者から了承を得る事が出来た。
①施設退所日並びに事業所T入居日
②就労B型作業所J通所開始日
③後見人と私の事業所(事業所T、就労B型作業所J)訪問日
④各関係事業所挨拶(当日、後見人は仕事の為欠席、担当者の私が回る事となった)

 

以上を施設内会議で報告し承諾を得る事となった。この頃には施設内で反対する職員や利用者は誰もいなくなっていた。

 

2月、私のみで今回関わった各関係事業所(地域生活相談センターH、役所CW、事業所T、就労B型作業所W、就労B型作業所J事業所A)へ結果報告と挨拶回りを実施。
この度の協力関係へのお礼、Aさんが選択した結果と理由を報告し、改めて継続した今後の協力を要請。各事業所から承諾を得る事が出来た。

 

12「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」

「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」
Aさんの退所が決定した夜に自らの意思で同じく長年地域移行を希望しているASD利用者に伝えた言葉である。
私はこの仕事の醍醐味を感じた瞬間であった。

 

以下、今回の地域移行に携わった私の感想である。
これまで複数の障がい者施設の入所理由で一番多いと感じていたのが「本人の障害特性よりも周囲の間違った支援による“2次障がい粗暴、強固なこだわり等の行動障がい”や介護者の高齢化、病気、経済的困窮等、様々な理由でキーワードに掲げた“生活の破綻”である」と考えている。
一旦入所すると「生活の破綻」との理由から長期間入所となるのが殆どであり、その結果「終の住み家」へと至る。
退所は殆どが、「2次障がい」が発症、長期間を経て重度化し施設内で対応出来なくなる、重篤化した病気の発症による病院への転院、残るは「永眠された時」である。
入退所理由のキーワードは「破綻」。「地域での生活の破綻」による入所から「施設での生活が破綻してからの退所」と感じている。

 

どうしてであろうか?

 

全てのケースでは無いが、私が調べ、経験した限り、殆どのケースが施設入所前は家族等の介護者が「破綻」するまで関わり続けてからの入所である。
退所時も施設が「破綻」するまで関わり続けてからの退所が殆どであった。

 

また、一旦入所すると「破綻」しての入所理由の為、今回のように地域移行等の生活環境を変えようとすると、家族等の介護者が不安を示し「反対」する事が多くあった。
その為、施設側も「家族等の介護者が不安を示す」を理由に、初期段階で地域移行を諦め「破綻」するまで入所させる事を続けてしまう。

 

果たして、昨今の障がい者制度改革における状況と照らし合わせると、その選択は続ける理由にはならない。「破綻」を早急にやめるべきである。

 

私はこれまで関わったケースの中で今回のように間違った情報、引継ぎの弱さ、間違った正義による判断、(障がい特性の)専門知識の無い支援、による長期入所になったのは初めての体験であった。

 

今回のケースワークで始めにAさんの成育歴を調べれば調べる程、これまで地域移行に拘ってわってきた歴代担当者の無念さから「怒り」を感じたが、後見人もAさんの「自己判断自己決定を優先」しサポートを諦めていなかった事が私のモチベーションとなった。
そして理解のある(障がい者相談支援センターを経験した)某役職が赴任した事により、実現する事が出来た。
併せて、成功した条件はAさんが単身世帯であった事、後見人が普段、福祉業務に就労しており地域移行への理解を持っていた事、そして沢山の協力機関が“手弁当”同然でAさんの支援に携わった事、しかし、何よりAさんが諦めていなかった事が成功したと確信している。

 

冒頭のAさん退所が決まった日に同室のASD利用者に伝えた言葉「あきらめへんかったら、夢はかなうんや!」が「決め手は本人が夢の実現を諦めずに、一つ一つ後見人と協力し丁寧に取り組んだ事、関係機関とのチームプレーがこの仕事の醍醐味である事」を再確認する事を感謝している。

 

Aさんが同室者へ思いやった言葉が、素晴らしい言葉である。
是非、この業種に携わっている方々に知ってもらいたいと思い今回応募する原動力となった。

 

2月、退所日にAさんは長年過ごした施設生活では殆ど着る事の無いクリーニング仕立てのスーツに着替え、様々な職員に見送られ「破綻では無い」退所をする事が出来た。
現在、Aさんは平日は作業所に通い、休日には移動支援を利用しながら家族の事を話しながら新築マンションの見学をする生活を続けている。

 

13最後に

最後に私が常に支援の指針とする「障害者総合支援法基本理念」を再度、紹介させていただいて実践報告を終えさせていただきたい。
最後まで読んでいただき本当に有難うございました。

 

【障害者総合支援法基本理念】
①全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない(このうえなく大切な)個人として尊重されること
②全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会(安心して住みなれた地域で暮らす事)を実現すること
③全ての障害者及び障害児が可能な限りその身近な場所において必要な日常生活又は社会生活を営むための支援を受けられること
④社会参加の機会が確保されること
⑤どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生(安心して住みなれた地域で暮らす事)することを妨げられないこと
⑥障害者及び障害児にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものの除去に資する(助けとなる。役立つ)こと

 

(ふじいこうき(社)日本ヘレンケラー財団フルールいずみ)

 

注及び引用文献
よこはま発達クリニックHP「ASDとは?」
最終アクセス(H3012/21)
ふくてっく学習会「障害者支援施設での虐待はなぜ起きるのか」
指定障害者支援施設やすらぎの丘たかとりワークス統括責任者佐藤宣三郎(2011.12.03)

 

参考文献
「(株)一二三介護、(株)佐野商事合同学習会」
代表岩元靖子佐野裕彦
「発達障がい学習会」
講師梅花女子大学伊丹昌一教授
主催:発達障がいの会八尾/社会福祉法人ポポロの会
「日本型組織の病を考える」
著:村木厚子

 

※今回は事例報告の為、個人や関係機関のプライバシーに配慮し、「個人名、日付、事業所」の執筆を行っている。